誰の期待にも、応えなくていい。|岸見一郎先生の本に救われた話 (3/3)

誰の期待にも、応えなくていい。|岸見一郎先生の本に救われた話 (3/3)

こんにちは。こんまり流片づけコンサルタントハンナです。

こちらはYouTubeを文字起こしした文章です。

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岸見一郎先生の言葉に救われてきた私のお話も、今回がいよいよ完結編です。

第1回では「目的論」のおはなし、第2回では「課題の分離」のお話。

ここまでは、「自分の人生のハンドルは、自分で動かせるんだ!」という、自分自身の主導権についてのお話をしてきましたが、

今日は集大成、「アンチ承認欲求」「誰かの期待を満たさなくていい」というお話をしたいと思います。

私たちの「鎖」の正体

私は片づけの個人レッスンでお客様のご自宅に伺って、一緒に片づけを進めていくんですが、その時に

「主人の実家はこういうのを気にするから捨てられないんです」とか、

「親戚が来る恒例行事があるから、これ残しとかなきゃいけなくて〜」とか。

ほんとは、「もう、やめたいな」って思ってることも、相手を悲しませたくなかったり、失礼だと思われたくなかったり。

「ちょっと無理して聞いておこう」って。不満はあるけれど、一旦、今回はこのままで、ってことあるんですよ。

「もういや〜」って程じゃないけど、いつかはやめたい、みたいな。

この、相手に気を遣って、自分の気持ちを抑えてしまう感覚。

これ、承認欲求とも深く関わってるんです。

岸見先生の『つながらない覚悟』という本に書かれている「電車で席を譲る、譲らない問題」が、すごく分かりやすいのでご紹介したいんですけど。

たとえば、高齢の方が立っているのを見て、「譲ろうかな、でも断られるかな…」「目立ったら嫌だな…」とか、

お相手の反応とか周りの目を気にしている間に、席を譲る機会を逃してしまう。私も、あります。

こんな事態について、こう書いてあるんです。「大事なのは、自分が譲りたいか、どうか」だと。

言われてみればそうなんです。申し出を受け入れるかどうかは相手さんが決めることで、

「感謝されないならやらない。目立って、恥をかくならやらない。」の前に、

「自分は、譲りたいか、自分は助けたいか」が大事なんだっていうんですよね。

身近な相手でも、あるじゃないですか。声に出さないまでも、「せっかくやってあげたのに」とか、

「私ばっかり頑張ってない?」とか。

こういう気持ちになる時って、相手の言動が、自分の思う反応じゃない、期待はずれだったから、イラっとしたり、悲しくなったりするんですよね。

私も覚えがあって、子ども達がまだ小さい頃、3人とも夕飯を食べてくれない日があったんですよ。

その前にお菓子を食べたのか、好きじゃないおかずだったのか、知らないけど。

その光景を見て、私が「もう作りたくないっ」って、拗ねたことがあったんですよね。空気悪いですよね。

子ども達は、不機嫌なママを前に下を向いてたんですよ。

そしたら、主人が、パクパク食べながら

「君たちは、たべたくなかったら、食べなくていい、おかしでも食べといたら。ママは、作りたかったら作ればいいし、作りたくなかったら、作らなくていい」

って言ったんです。

これは、聞く人によっては、なんて冷たい、無責任なお父さんだ!って思うかもですが、私は救われたんですよね。「ほんまや!」って。

私は、もし、子ども達が食べてくれない日が続いても、「作ってあげたい」と思ってるんです。

だから、「食べないんなら作らない、作りたくない」って言ったのは、ある意味、皆への脅迫なんですよね。

一回目にでてきた目的論、「感情を目的のために使ってる」ってやつですよね。

ここに、「相手に認められないならやらない」っていう相手主導の「承認欲求」が混ざってるんですよね。

岸見先生が断言する「自由」

ここでも先生は、バッサリと断ち切ってくれます。

「われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない」

言われてみればそうだなぁ、ってなりますよね。

そりゃあ、相手の反応次第でやることを変えて、認められたい、褒められたいということばっかり追いかけてるのって、全然、自分主導じゃないんですよね。

それでも、「他者の期待など満たす必要はない」とズバッと言われると、「そんな自分勝手でいいのか?」と思えてくるんですが、

でも!言い換えるとこうなんです。

「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない」

これ、逆も然りってことなんです。これぞ「尊重」って感じで好きなんですよ。

相手が思う通りに動いてくれなくても、怒っちゃいけないよ。それが当たり前なんだよ、と。

でもね。そうはいっても、家族の行動って気になりますよね。「守ってあげたい」とか「そっちは良くないよ」って言いたくなるし、聞いてくれないとイヤだなあ〜って思うんです。

そこで、有名なこの言葉です。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

「連れて行く」という精一杯の援助はできても、その先で、実際に水を飲むかどうかまでは、踏み込めないんですよね。

ちなみに、『嫌われる勇気』の本に出てくる青年は、ここで、黙っていません。

「先生、あなたの議論は人間を孤独へと追いやり、対立へと導く、唾棄(だき)すべき危険思想だ!」と猛反撃します。

……まぁ、そこまで言わなくても、って思うんですけど(笑)。

でもそれくらい、私たちの「誰かに認めてほしい」っていう承認欲求は、根深いものなんですよね。

他者の評価に振り回される「承認欲求」から、少しずつ自由になっていくこと。

それが、岸見先生の言う「自分を生きる」っていうことにつながるのかなと、今の私は理解しています。

おわりに

まだまだ話したいことあるんですが、『嫌われる勇気』より、この言葉で締めたいと思います。

「あなたにできることは『自分の信じる最善の道を選ぶこと』。それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です」

ここまで全3回、私の大切にしている岸見一郎先生のお言葉にお付き合いいただき、ありがとうございました。

「私は私のために、自分の信じる最善の道を、選びたい。じたばたしながらでも、選びたい」と思います。

ありがとうございました。ハンナでした。

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